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他人におびえるメカニズム

怒られるのが嫌。



他人に批判されるのが嫌。



他人と争うのも嫌。




そう考える人は

自分が思っているより多くいる。



なぜ、他人に怯まずにずけずけと

意見を言える人がいる一方で

顔色ばかり伺って実際起きてもいない不安に怯えて過ごす人がいるのか。



かくいう私も後者である。




これまで他人の顔色ばかり伺っては

機嫌を損ねないように振る舞い、

ブルブル震えながら生活してきた。




一時は自分が対人恐怖所なのではないかと疑うほどに。




長い思考の末にたどり着いた答えは、

「自分で考えること」をしなかったからだ、というものである。



そもそも他人の意見が100%正しい保証はどこにもない。



そして間違っていたからといって

命まで奪われることはない。(日本においてほとんどの場合)



自分の意見を持つこと、そして

それを信じることをしなかった人は

自信というものが全くない。



間違えるのを恐れて

自分で考えるよりも他人の考えに同調していたのだ。



なぜなら他人の意見なら間違えたところで自分のせいではないから。



自分で考えて出した答えが間違っていた時、

その人のプライドは傷つく。



もしかしたら馬鹿にされるかもしれない。

仲間外れにされるかもしれない。

不特定多数の人に蔑まれるかもしれない。


そのリスクを避けながらやり過ごす最善の策が、他人に同調することだった。



しかし、それはほんの一時にすぎない。



中学生までの子供社会でなら

最善の策だったかもしれない。



正しいかどうかよりも

誰と一緒の考えかどうかが重要だからだ。



しかし大人の社会、

それも世界規模になると話は別だ。



日本はまだまだ議論が少ない国だが

欧米諸国は違う。



ディベートこそが我が文化だと言わんばかりの自己主張の嵐。



その文化の中なら意見が異なることなんてことは日常茶飯事で、

間違った時のリスクなんてゼロなのかもしれない。



私は海外に希望を見た。



まだ行ったことはないが

話を聞く限りはそんな感じだ。



もし、

・自分の意見を持つことが怖い

・自分で考えられない

・他人と意見が食い違うのが怖い



という思いがあるのならそれは

トラウマから来るものか

はたまた異端の被害者を見てきた

環境のせいかは分からないが、



視野を広げてみてはいかがだろうか。



意見が違ったって何も失うことはない。



大事なのは自分で納得のいく意見を考えて、他者に伝達することだ。



自分の思考力を、

そうやって鍛えていく。



それでこそ生きている実感が湧き、

疲れ気味の現代をたくましく生き抜くことができるのだ。